「心の持ちようでパフォーマンスは変わります」/ 愛工大名電 山崎武司選手

1986年の夏の愛知県大会5回戦で、前年の県大会準優勝校にして、優勝候補筆頭でもありながら敗れた、愛工大名電高校。

当時、チームの主将を務めていたのは、高校通算56本塁打の強打者として全国から注目を集めていた、山崎武司選手である。

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山崎選手は、小学2年から野球をはじめると、体格の良さと能力の高さを発揮し、捕手と中軸を担うようになり、中学でも4番捕手を務めた。

しかし、中学時代の本塁打は0本で、チームとしても大きな結果は残せていなかったため、高校進学時には、さほど注目されていいなかった。

それでも、野球部のセレクションに合格し、愛工大名電へ進学すると、球拾いや声出しといった限られた練習や、理不尽な部のルールにも弱音を吐くことなく、一生懸命取り組んだ。

また、身近にいる有名選手や偉大な先輩の背中を追いかけ、全体練習では人一倍必死に汗を流し、しんどい日や体が疲れている日でも、誰よりも気持ちを込めて練習に励んだ

そして、チームでの練習が終わった後にも、黙々と自主練習をこなしたり、トレーニングをしたことで、 1年の秋にはレギュラーの座を掴んだ。

迎えた2年の夏には、愛知大会決勝まで勝ち進み、準優勝に貢献すると、翌年には、主将と4番と捕手という肩書きを持ちながらも前年以上の活躍を見せたのであった。

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