「強いチームは細かい野球をする」/ 東海大甲府 村中秀人監督

県や地区大会では上位進出の常連校であり、春夏合わせて5度の4強進出を甲子園で記録している、山梨県の東海大甲府高校。

チームを1999年から指揮しているのは、選手時代に東海大相模のエースとして甲子園準優勝へ導き、社会人野球でプレーした経験や母校を指揮した実績などを持つ、村中秀人監督である。

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「野球ができるのもお父さんとお母さんのおかげ」/ 広陵 上本崇司選手

2008年の夏、前年準優勝校として徹底マークをされながらも県大会を勝ち抜き甲子園出場を果たした、広島県の広陵高校。

当時、チームの1番打者を務めていたのは、前年の準優勝にも貢献し、3年夏には史上初の兄弟揃って先頭打者本塁打を記録するなどの活躍を見せた、上本崇司選手である。

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「もっと選手が自立して物事を考え、状況判断し、行動に移さなければいけない」/ 中越 本田仁哉監督

県や地区大会の上位進出常連校で、夏の甲子園には10回を超える出場を記録している、新潟県の中越高校。

そんなチームを、2000年からコーチとして指導し、03年からは指揮を執っているのが、静岡高校OBの本田仁哉監督である。

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「練習は量をやりながら質も求めることが大事」/ 帝京 中村晃選手

2007年のセンバツ大会で4強、夏の甲子園では8強に進出した東の横綱、帝京高校。

当時チームの主将を務めていたのは、高校通算60本塁打を記録し、大会屈指のスラッガーとして注目を集めていた、中村晃選手である。

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「きつくても逃げ出さない選手は必ず伸びます」/ 北照 河上敬也監督

1991年の夏に甲子園初出場を果たすと、センバツでは2度のベスト8に進出するなど、道内だけでなく全国でも躍進を続けている北照高校。

そんなチームを1981年から2015年までの35年間指揮し、春夏合わせて8度甲子園に導いたのは、OBの河上敬也監督である。

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「順境におごらず、逆境に腐らず」/ 智弁和歌山 古宮克人選手

2006年の夏の甲子園で、優勝候補の筆頭として出場し、準々決勝では壮絶な打撃戦を制して4強まで勝ち進んだ智弁和歌山高校。

当時、チームの主将を務めていたのは、俊足好打の1番打者として活躍を見せていた、古宮克人選手である。

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「自分は上手い、強いとか、思ったら上手くならない」/ 八重山商工 伊志嶺吉盛監督

2006年、離島勢として初となる春夏連続で甲子園出場を果たし、全国から注目を集めた、沖縄県の八重山商工

そんなチームを約20年指揮していたのは、中学野球チームの監督時代に世界大会4強へ導いた実績を持つ、伊志嶺吉盛監督である。

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「高校野球大会は1回勝負、気持ちの面がものすごく大事」/ 平安 炭谷銀仁朗選手

2005年の夏の京都府大会の準決勝で、優勝候補に挙げられながら、後に甲子園で準優勝を果たす京都外大西に惜敗した、龍谷大平安高校。

当時チームの主将を務めていたのは、高校通算48本塁打を記録していた、炭谷銀仁朗選手である。

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「野球を楽しくやりたいなら、練習で自分に重圧をかけて、自信をつかむしかない」/ 桐生第一 福田治男監督

1999年の夏の甲子園で、県勢初の全国制覇を成し遂げ、その名を全国に広めた群馬県の桐生第一高校。

チームを1985年の創部時から2018  年まで指揮していたのは、春夏合わせて甲子園に14度導いた実績を持つ、福田治男監督である。

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