2004年の夏の甲子園で、初出場ながら強豪校を次々倒し、4強まで勝ち進んだ、千葉経大付属高校。
当時、チームのエースを務めていたのは、監督の息子であったことから、親子で全国制覇を目指す選手として注目されていた、松本啓二朗選手である。
松本選手は、甲子園で優勝投手となった父の影響もあり、小学1年から野球を始めると、中学時代はシニアチームでプレーし、高校は、父が監督を務めていた千葉経大付属に進学し、親子で甲子園を目指していった。
しかし、自宅から20キロ離れた高校には通学に時間がかかり、日々の練習時間は2時間ほどと、恵まれない環境に、結果は直ぐには出なかった。
また、監督の息子という慣れない立場にも混乱し、周囲からの声や期待、プレッシャーに苦しめられ、思うようにプレーができずにいた。
それでもシニア時代からのチームメイトに支えられたことで克服し、2年秋以降は、松本選手が主体となってチームを引っ張り、できる範囲の努力を行ったことで、3年の春の県大会では準優勝を成し遂げた。
迎えた最後の夏は、チームを初の夏の甲子園出場へ導くと、「相手も同じ高校生」を合言葉に、格上を次々と敗り勝ち進むと、3回戦では、優勝候補の東北高校と延長10回の死闘を繰り広げ、大金星を挙げた。
全国制覇の夢は果たせなかったが、初出場で4強進出という好成績を残し、最高の親孝行をしたのであった。