「怪我をしても、何もできないわけじゃない」/ 智弁和歌山 西川遥輝選手

2010年のセンバツ大会で、名将、高嶋仁監督に監督勝利数単独トップとなる59勝目をもたらした、智弁和歌山高校。

当時、チームの主軸を務めていたのは、走攻守三拍子揃ったプレースタイルで、全国から注目を集めていた、西川遥輝選手である。

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西川選手は、中学時代に全国制覇を経験していたこともあり、名門、智弁和歌山に入学後すぐの春の大会から1番遊撃手として試合に出場し、4本塁打を記録するなど、順風満帆のスタートであった。

あまりの衝撃デビューに、全国から注目を浴び、監督やチームメイトにも期待されていたが、西川選手にとって、高校時代は怪我に苦しめられることが大半であった。

春夏合わせて甲子園に4度出場したが、常に万全な状態ではなく、特に1.2年時には2度の骨折を経験し、思うようなプレーが発揮できる状態ではなかった。

それでも、怪我を前向きに考え、動かせる部分の筋肉を鍛えたり、怪我の原因を考えて、フォームや身体の動かし方を研究し、プラスの要素を吸収していった。

また、怪我を防ぐためのストレッチやケアを学び、コンディショニングを意識したことで、怪我を減らすこともできるようになり、あらゆる面で成長していった。

迎えた最後の1年は、春夏連続で甲子園出場を果たし、活躍とともに、恩師に歴代最多となる59個目の勝ち星をプレゼントしたのであった。

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