「強く思わない限り実現できない」/ 浜田 和田毅選手

2年連続の出場となった、1998年の夏の甲子園で、学校史上初の8強進出を果たした、島根県の浜田高校

当時、チームのエースを務めていたのは、球の出どころが見えにくいフォームと、球速以上のキレのあるボールを武器にしていた、和田毅選手である。

浜田高校の記事はこちら。

和田選手は、小学1年から野球を始め、中学時代には学校の軟式野球部に所属していたが、大きな成績を残していなかったため、注目される存在ではなかった。

浜田高校入学後は、甲子園出場へ導いた経験を持つ監督の厳しい指導に苦戦ふるも、毎日の徹底した走り込みで、徐々にスタミナをつけていった。

そんな地道な努力が実を結び、2年の夏には、下馬評を覆す活躍を見せ、エースとしてチームを16年ぶりの甲子園出場へ導いたのであった。

しかし、甲子園の初戦では、最終回まで2点リードしていたものの、自身のエラーで同点とされると、最後は押し出しでサヨナラ負けを喫することとなった。

甲子園での悔しい経験を糧に、リベンジを誓い、秋以降はさらなる下半身強化を行ったことで、怪我を発症するアクシデントも乗り越え、最後の夏は再び、甲子園出場を果たした。

迎えた甲子園では、鬼門である初戦突破をすると、2戦目は優勝候補の一角、帝京に勝利し、堂々のベスト8入りを果たしたのであった。

【関連】開星高校の記事はこちら。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です