「経験をどのように受け止め、どう生かすかが大切」/ 平安 桧山進次郎選手

1987年の夏の京都府予選で、チームの歴史上2度目となる1回戦敗退となった、平安高校(現・龍谷大平安)

当時、チームの主将を務めていたのは、2年時から攻守の中心選手として活躍していた、桧山進次郎選手である。

龍谷大平安の記事はこちら。

桧山選手は、小学4年から野球をはじめると、平安高校の付属中学時代には、県大会優勝に貢献するなど、実績と経験を持ち合わせ、平安高校へ進学した。

しかし、入学した際のチームは、過去10年夏の甲子園出場がない、創部史上最長のブランク期であり、府大会すらも勝てない状態であった。

そのため、試合で敗れる度に、ファンやOBから厳しい言葉が浴びせられるなど、周囲からのプレッシャーもあり、それに伴ってまた、 負けてしまうという悪循環に陥っていた。

そんなチームをなんとか復活させようと、名門のプライドを胸に、深夜遅くまで練習を続けては、帰宅後も自主練習を行うなど、努力を重ね、2年時の春季京都大会では準優勝を果たした。

だが、2年の夏は優勝候補に挙げられながらも2回戦で敗退し、主将となった最後の夏は、1回戦で府内トップレベルの進学校に敗れるなど、目立った成績は残せず引退となった。

それでも、仲間とともに過ごした3年間や、夜中までバットを振り続けるなどの努力をしたことは、桧山選手の財産となり、人生の支えとなった。

【関連】川口知哉選手の記事はこちら。

【関連】原田英彦監督の記事はこちら。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です