高校野球では、選手たち個々の技術の高さが高いだけでは勝利を掴めないが、チームの結束力や指導者の経験値だけが特化していても勝てないものである。
つまり、どれだけレベルの高い選手を集めても、どんなに優れた指導者に采配を依頼しても、全ての面において相手を上回っていなければ、勝利を手にすることはできないのである。
特に、技術や身体が発展途中の高校生の場合、根本となる人間性が成長のスピードを左右するため、指導者は人を鍛えることが求められる。
そうした課題を把握し、目先の強さだけを求めず、土台となる人間力を育てるところから指導を行っていたのは、池田高校を指揮していた蔦文也監督である。
蔦監督は、選手時代に甲子園やプロ野球の世界を経験するなど、輝かしい実績を残していたが、指導者としては20年間甲子園へ出場を果たせずにいた。
それでも、「負けからのスタート」を合言葉に、指導や教育方法の見直し、戦術の勉強を行うなど、選手たち以上に自身を鍛え上げ、手本となるように努力を重ねていた。
実力、運、経験などあらゆる要素を身につけ、自らの経験を選手たちに伝えながら、栄光に向かってコツコツと歩んだ蔦監督は、球史に残る名将としていつまでも語り継がれていく。
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「「野球というものは、強いもんが必ずしも勝つとは限らない」/ 池田 蔦文也監督」への1件のフィードバック