「甲子園に出るからには強い『決意』、相応の『覚悟』を持って臨まなければならない」/ 開星 本田紘章選手

2010年の夏の甲子園で、誰もが勝利を確信した、9回表二死から、失策で逆転をゆるし、初戦敗退を喫した、島根県の開星高校。

当時、センターを守り、失策により決勝点を与えてしまったのが、本田紘章選手である。

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本田選手は、中学時代から注目を集める選手ではなかったものの、入学後に開星の名物でもある「ウエイトトレーニング」で「力」と「自信」をつけていった。 

やがて、2年生のセンバツでは、背番号15をつけながらも、スタメンとして、優勝候補の慶應義塾から、決勝打となるタイムリーを放つなどの活躍で勝利を手繰り寄せた。

また、2年秋からは、3番センターとして県大会と地区大会優勝に貢献すると、3年のセンバツ甲子園にも出場を果たした。

しかし、センバツでは初戦敗退を喫し、その際の監督の発言で、全国から批判があびせられ、監督の解任騒動にまで発展し、練習ができない期間が続いていた。

そして、最後の夏でも自身のエラーによって、リベンジを果たせなかったが、 本田選手は、一瞬の気の緩みが、物事の明暗を分けることを学び、その後の人生に活かしている。

敗戦や失敗を、糧にして取り組む本田選手は、人生の勝利へ向かって、油断なく、社会人として活躍を続けている。

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