「苦しくても最後にはいいことが起きる」/ 神村学園 野上亮磨選手

2005年のセンバツ大会で、創部2年半ながら、準優勝を成し遂げた、鹿児島県の神村学園高校。

当時、チームのエースを務めていたのは、チーム唯一の本格的な投手として、決勝を含めた全ての試合に登板した、野上亮磨選手である。

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野上選手は、中学時代の活躍を評価してくれた、ソフトボールの日本代表の監督も務めた実績を持つ、長沢宏行監督(現創志学園監督)の誘いを受け、進学を決意したのであった。

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創部から間もないチームではあったが、名将、長沢監督の指導を受けたチームは、チームも野上選手も急速な成長を遂げ、創部2年目にしてセンバツ出場を確実にさせた。

迎えた、センバツ大会では、準々決勝で打球を受けるアクシデントに見舞われながらも力投をみせ、チームを準優勝へと導いたのであった。

しかし、当時のチームには本格的な投手が他にいないこともあり、野上選手に頼りきった状態が続いていたことで、センバツ終了後に肘の怪我を発症し、ノースローの日が続いた。

完治しないままで挑むこともなった最後の夏は、センバツのリベンジをエネルギーに、決勝まで勝ち進むも、最後は痛みが限界を超え、涙をのんだのであった。

それでも、ベストコンディションではない中で、エースとして最後までマウンドにたち続けたことが評価され、野上選手プロ入りを果たすのであった。

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