「高校野球でも常識や概念、セオリーが邪魔する時があるんです」/ 健大高崎 青柳博文監督

2001年に創部し、11年夏に甲子園デビュー後は「機動破壊」を代名詞に、その名を全国に広めた群馬県の健大高崎

チームを2002年から指揮するのは、前橋商で「4番一塁手」としてセンバツ甲子園に出場した経験を持つ、青柳博文監督である。

青柳博文監督の記事はこちら。

青柳監督が就任した際には、専用グランドや部室もなく、主な練習場は「テニスコート」という限られた環境であった。

また、知名度の低さから、選手が集まりにくく、ようやく選手が集まった際には部内不祥事が発生するなど、野球以前での苦労が絶えなかった。

【関連】前橋育英の記事はこちら。

それでも、複数のコーチが分担した指導を行う、従来の高校野球にはなかった独自のスタイルを確立し、県大会で上位進出を果たせるようになっていった。

そして、甲子園に出るために更なる成長が必要と考え、他チームがそれほど拘っていない「走塁」に力を入れることに方針を決め、「ノーヒットで1点を取る」といった野球を目指していった。

関連】桐生第一の記事はこちら。

走塁から始めた「機動破壊」は、セオリー常識に縛られつつあった自身の野球概念を大きく変え、投手起用や練習法などにも、大きな変化をもたらすこととなっていった。

変化を恐れずに、日々新たな野球を見つけ出す青柳監督の野球が、甲子園を制する日は近そうだ。

健大高崎の記事はこちら。

「「高校野球でも常識や概念、セオリーが邪魔する時があるんです」/ 健大高崎 青柳博文監督」への1件のフィードバック

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です