4年連続の出場となった、2003年のセンバツ大会で、チーム史上3度目の全国制覇を成し遂げた、広島県の広陵高校。
当時、チームのエースを務めていたのは、1年秋から背番号1を背負っていた、西村健太朗選手である。
西村選手は、甲子園出場の可能性の高い、強豪の広陵へと進学を決めるも、入学当初は、周囲の選手や先輩のレベルの高さに圧倒されていた。
それでも、全体練習後に様々な自主練習をこなしていったことで、1年秋には、エースを任されるまでに成長を遂げた。
しかし、2年時は、甲子園に春夏連続で出場するも、いずれも優勝チームに敗れるなど、悔しい結果が続いていた。
そこで、2年秋の新チームからは、自主練習の時間だけでなく、練習メニューを自分で考えるようにし、試合で見つかった課題などを克服することをスタートさせていった。
また、それらの習慣に伴って身についた、考える力を試合での投球きも活かしたことで、落ち着いた投球ができるようになり、ピンチでも冷静を保てるようになった。
迎えた、3年のセンバツでも、大会期間中にも、試合が終わるごとに微調整や試行錯誤を繰り返したことで、チームを優勝に導くことができたのであった。