2011年の夏の甲子園で、県勢としては42年ぶりの、チームのしては初の決勝進出を果たし、準優勝を成し遂げた青森県の光星学院高校。
当時、チームの主将を務めていたのが、投打の軸としてもチームを引っ張っていた、川上竜平選手である。
川上選手は、ソフトボール選手であった母親の影響で野球を始めると、中学時代には、練習後に母と共に自宅の駐車場でティー打撃を行うなど、膨大な練習量で鍛えていた。
その成果もあり、光星学院に入学後も、全国レベルのチームの練習にも屈することなく成長を遂げ、1年夏からベンチ入りを果たし、2年春からは投手も兼任するようにもなった。
主将に就任した2年秋には、県大会を制して、東北大会準優勝へチームを導き、翌春の甲子園ては、優勝候補にも挙げられていたが、センバツでは初戦敗退となった。
そんな春の悔しさと、この年に発生した東日本大震災の被災地へ「勇気」を届けることが、モチベーションとなった川上選手と光星ナインは、リベンジを誓い、夏の甲子園へ帰ってきた。
初戦では、川上選手が先発として140キロを超える速球で相手打線を抑えると、打席でも2本塁打を放ち、7打点を挙げる投打に渡る活躍で、勝利をもたらした。
快進撃を続けた光星学院は、決勝で敗れるも、被災地に勇気と感動を与える堂々の準優勝を成し遂げたのであった。