2005年の夏の甲子園に、優勝チームの不祥事による出場辞退で、繰り上げというかたちで出場した、高知高校。
当時チームのエースを務めていたのは、持ち球のストレートとカーブの2種類のみで、県大会で好投していた二神一人選手である。
二神選手は、高知高校が甲子園で活躍する姿に憧れ進学を決意するも、練習に励む同級生を含む部員のレベルの高さや体つきに圧倒されていた。
そんな衝撃をモチベーションに変え、入学前からトレーニングや練習をしていたこともあり、1年秋からベンチ入りし、試合に出場する機会も次第に増えていった。
冬場にも練習量を落とすことなく、コントロールを安定させ、球威も上げるなど力をつけ、二神選手が最も得意とするストレートで攻めるスタイルを成長させていった。
甲子園へ近づいたかのように思えたが、県内最大のライバルであった明徳義塾に阻まれ続け、最後の夏を迎えることとなったのだ。
「打倒明徳」の強い想いで臨んだ最後の夏の決勝でも、延長12回までもつれる熱線を繰り広げるも、勝ち越しを許し敗れてしまったのであった。
しかし、明徳義塾の出場辞退によって、二神選手と高知高校は甲子園出場を果たし、初戦敗退も、球場中が拍手を送るプレーを見せ、優秀の美を飾った。