「今野球ができるのは当たり前ではない」/ 熊本西 霜上幸太郎選手

2019年のセンバツに21世紀枠として選出され、学校として34年ぶりの甲子園出場を果たした、熊本西高校。

当時、主将を務めていたのは、投げてはエースとして、打っては中軸として、プレーでもチームを引っ張っていた、霜上幸太郎選手である。

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霜上選手は、父の影響で野球を始めるも、小中学生時代はいずれも軟式野球であり、投手の経験もあったものの、熊本西へ進学した際は内野手を務めていた。

熊本西では、チームの事情により1年夏から捕手へと転向すると、2年の夏には背番号2を背負い、レギュラーとして試合に出場するようにもなった。

しかし、夏の県大会でチームは2年連続の初戦敗退を喫し、霜上選手自身も、主将投手を担うようになった新チーム結成当初は、慣れない役割や仕事に苦戦し、思うような結果が残せずにいた。

そこで、レギュラーや補欠に関係なく、チーム全員で練習の準備や片付けをしたり、ゴミ拾いやボランティア活動に参加するなどを行った。

当初は、技術の成長に直結しない取り組みに疑問も感じていたが、一つの物事をやりきる習慣を身につけたり、協力することの大切さや野球ができることに感謝の気持ちを持つことなどを学び、霜上選手もチームも精神的に成長していった。

その結果、チームは秋の大会では県大会準優勝の好成績を残すことができ、センバツ大会にも21世紀枠で選出されると、霜上選手も甲子園で強豪校相手に、熱投を見せたのであった。

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