「泣きたい時もあると思いますが、それは勝つためのエネルギーになります」/ クラーク記念国際 佐々木啓司監督

創部3年目にして、夏の甲子園史上初の通信制の高校として、出場を果たしたことで、全国から注目を集めた、北海道のクラーク記念国際

そんなチームの快進撃は、かつて、駒大岩見沢を全国レベルに育て上げた名将、佐々木啓司監督の支えてがあったからである。

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佐々木監督は、監督就任後直ぐから、自身の作り上げた駒大岩見沢の代名詞の、「ヒグマ打線」と称される強力打線などの、レベルの高い野球をクラークでも引き継ぎ、チーム作りを目指していた。

しかし、創部間もないチームには、練習場もなければ、部員も足りないなど、野球以前のことに苦労を強いられるなど、理想とはかけ離れたスタートとなった。

また、通信制という肩書が、「野球だけをしている学校」という憶測が一人歩きし、周囲からの評判も悪く、部員の獲得も簡単ではなかった。

それでも、ラグビー場や他大学のグラウンドなど、練習できる場所があると聞けば移動し、入部を希望する選手がいれば、全国各地へ飛び回った。

やがて、監督の努力に学校側も全面的に協力するようになり、専用グラウンドや室内練習場、寮なども完備され、野球に専念できる環境が整い、「ヒグマ打線」の継承も始めていった。

ようやくスタートラインに立つも、今度は、野球を教える以前に、生活習慣の見直しや、学生の本業である勉強をさせることなどの、新たな課題も見つかり、足踏み状態が続いた。

だが、大好きな野球のために、チーム全員で助け合いながら、勉強や寮生活をこなしていくことで、チームの団結力が高まるといった効果が得られ、一気に成長を遂げ、遂には甲子園出場まで果たしたのであった。

佐々木監督を筆頭に、様々な困難を乗り越え、それらを糧に全国の頂点を目指す、クラーク記念国際から、今後も目が離せない。

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