高校野球には、勝敗以上に人間形成の場であるべきという考えが強くあるため、指導者はアプローチは違えど、野球を通して、人として成長させていくことを目指す。
かつて、松山商業を全国制覇へと導いた、一色俊作監督もまた、勝つ野球の追求と同時進行で、人間的な部分を育てることに力を入れていた。
一色監督は、26歳という若さで名門の監督を担うこととなったが、当初は、指導経験がなかったため、選手の育て方やチーム作りの仕方が分からず、結果が出ない時期が続いていた。
そこで、一度監督という職から離れ帝王学を学び、組織の動かし方や、リーダーとしてのあり方などを身につけ、再び現場へと復帰した。
まず最初に取り組んだのは、野球の監督として選手に接するのではなく、一人の教育者としての立場を意識して、選手の前に立つことであった。
高校時代をどう過ごしたかで、その後の人生が大きく変わることを考慮し、野球を通して人間的な部分の伸ばせるところは、無駄なく育てていった。
練習中は、チームの伝統である「守りの野球」を継承するために、厳しいメニューで、守備力とともに、辛抱強さや我慢強さを学ばせ、忍耐力を身につけさせた。
深夜遅くまで練習が行われることもあり、選手からは「鬼の一色」と称されることもあったが、その裏には必ず、選手たちを育ててあげようという、愛情があったのだ。
そんな監督の強い想いは、グラウンドの外でも指導は続き、レギュラー選手には特に、私生活をきちんと過ごさなければ、仲間からの信頼が得られないことを伝え、日常生活にも一切の妥協は許さなかった。
勝利や結果だけにこだわらず、教え子全員に対する愛情を持ち、成長させることを願いながら指導を続けていた一色監督の意志は、今日の松山商業と多くの教え子たちに受け継がれている。
「「高校野球の指導者は、その子の一生を背負う覚悟がなければできない」/ 松山商業 一色俊作監督」への1件のフィードバック