2017年の秋の関東大会で準優勝を成し遂げ、翌年のセンバツで甲子園初出場を果たした、茨城県の明秀日立高校。
甲子園では初勝利を挙げると、優勝した大阪桐蔭に敗れるも、ベスト16まで勝ち進み、全国から注目を浴びる存在となった。
そんな明秀日立を2012年秋から指揮しているのは、かつて光星学院(現・八戸学院光星)で春夏合わせて8度甲子園へ導き、プロ野球選手も多数育て上げた名将、金沢成奉監督である。
金沢監督は明秀日立の監督就任すると、常総学院の木内監督が作り上げた、「攻守のバランスのとれた手堅い野球」を根こそぎ変えるために、新たな野球を確立していった。
茨城の野球にはない、光星学院時代に築き上げた「打ち勝つ野球」を目指し、選手たちに1日1000スイングを課していった。
普段の練習でも、打撃に時間を多く費やし、様々な種類のバットを使い分けて、素振りやトスの練習を繰り返し行っていた。
また、打球をより遠くへ飛ばす強い身体を作るために、夕食で1キロの米を食べさせたり、専門家を招いてのウェイトトレーニングを毎週行わせるなど、徹底して打ち勝つ野球を追求していた。
しかし、野球の技術や打ち勝つことばかりの指導では、チームとしてのバランスが取れず、甲子園をかけた大一番では、組織力の差で敗れていた。
そこで、「全員で一点を取り、全員で一点を守る」という新たな目標を設定し、組織力の向上を目指し始めた。
時には、選手たちの気持ちを同じ方向に向かせるために、選手全員で3〜4時間行進をさるなど、組織の持つ力の凄さを伝えていった。
そして、人任せであった選手たちにも、役割を与えて、自分のためではなく、チームのために動ける選手を育てていった。
役割を持つことで、選手たちは責任を果たすために努力をしたり、野球以外のことにも気を配れるようになったりと、様々な面でプラスに働いた。
責任を持ち、役割を果たすまとまりのある組織野球が「打ち勝つ野球」と組み合わさったことで、明秀日立は、何度も涙を飲んだ甲子園へのあと一歩の「壁」を乗り越えることができたのであった。
18年のセンバツでは、チャンスの場面に小技などを使わず、強打で得点を挙げたことで、「強打」の印象を全国に残した明秀日立。
次回は、金沢監督の光星学院時代からの悲願でもある「甲子園制覇」を目指し、打撃力と組織力の強化に汗を流している。
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