「高校3年間、必死にやって甲子園でプレーできたことは何歳になっても自信になる」/ 明徳義塾 岸潤一郎選手

2012年の夏の甲子園で1年生ながらデビューを果たすと、その後4度の甲子園出場を果たし、「甲子園の申し子」とまで称したれた、明徳義塾岸潤一郎選手

1年夏からベンチ入りを果たすと、甲子園ではマウンドと4番打者を経験しただけでなく、投打にわたり勝利に貢献する活躍を見せた。

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高校最後の甲子園では、エースとしてだけでなく、最後の打席で本塁打を放つなどの記録と記憶を残し、ドラフト候補として注目されながらも、恩師の馬渕監督の助言もあり、大学進学を決意し、大学卒業後ドラフト1位を目指していった。

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しかし、大学入学後の肘の怪我で手術を行うと、リハビリに時間を要し、野球というものに対してのモチベーションを保てず、3年の秋には退部をしてしまった。

大学を辞め新たな夢を志した岸選手ではあったが、独立リーグからのオファーもあり、再び野球への情熱と楽しさを胸に刻み、挑戦をスタートさせた。

そして、環境も守備位置も異なった状態で始まった独立リーグでの野球でも、結果を出し続けたことで、19年のドラフトで夢のプロ入りを果たした。

甲子園というものを目指して汗を流した、明徳義塾での3年間を支えと自信に、様々な困難を乗り越える岸選手のプロ野球での活躍に目が離せない。

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