「優しさも必要だが、強さも同じくらいなければならない」/ 箕島 尾藤公監督

公立高校が大多数を占めていた時代とはいえ、春夏連覇の偉業を成し遂げたのは、尾藤公監督率いる箕島高校が、現時点では、最初にして最後である。

選手たちの緊張をほぐすために、試合中に見せる「尾藤スマイル」は、その後、名将として名を馳せる若き日の監督たちにも大きな影響を与え、伝説としても語り継がれている。

箕島高校の記事はこちら。

尾藤公監督の記事はこちら。

しかし、監督就任当初から「尾藤スマイル」を前面に押し出していたわけではなく、スパルタ指導が全盛期の時代でもあったため、尾藤監督も、それなりに厳しい指導で選手を鍛えていた。

日々の練習では「鬼の猛将」と称されるほど、妥協を許さない指導を行い、ノックバットを持てば、選手が倒れるまで打ち続け、救急車が校門の前に止まるのは日常茶飯となっていた。

だが、鉄拳制裁の指導には即効性があったものの長続きはせず、結果的に選手たちは、監督に怒られないことがモチベーションになり、チームのことや自分たちの野球を考えてプレーしなくなっていた。

選手たちに結果を出させて上げることが、監督としての使命とばかりに考えていたが、結果ばかりにとらわれ、チームプレー教育といった根本的な目的を見失っていたことに気づき、指導スタイルを大きく変えた。

レギュラー選手だけでなく、控え選手や監督など、全員の力で勝利を目指すことに意味があるとと強く伝え、厳しさや辛さを通して、協力や支え合うことを教えるようになっていった。

また、ベンチ入りメンバーを選手たちに決めさせるなど、誰かを思いやる心や、誰かのために闘う責任感なども勉強させ、人として成長させる指導を続けた。

やがて、教育と選手の育成の両立を成し遂げた尾藤監督は、70年代の黄金期を中心に春夏合わせて4度の全国制覇を成し遂げるなど、大きな功績を残したのであった。

挫折や栄光から学び、教育とは何かを最後まで考え続けながら野球を愛した、尾藤監督の想いは、多くの高校野球指導者と教え子たちに受け継がれている。

【関連】智弁和歌山の記事はこちら。

【関連】市立和歌山の記事はこちら。

【関連】星稜高校の記事はこちら。

【関連】山下智茂監督の記事はこちら。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です