「甲子園で終われたことは財産」/ 九州国際大付 清水優心選手

2014年に勇退を表明していた、名将、若生正広監督最後の夏を甲子園まで導いた、九州国際大付属高校。

当時、チームの主将を務めていたのは、高校通算35本塁打のスラッガーとして全国から注目を集めていた、清水優心選手である。

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清水選手は、中学生時代に見た、九州国際大付の野球への憧れと名将、若生監督の指導を受けたいと考え、親元を離れる覚悟と共に、進学を決意したのであった。

九州国際大付では、入学後すぐから試合に出場し、夏の県大会では16打数で6安打を放つなどの活躍で、チームの8強進出に貢献した。

そんな結果が評価され、2年時からは4番打者を担うこととなったが、夏の県大会ではノーヒットに終わり、チームも初戦敗退と、どん底を味わった。

そんな悔しさを糧に、主将となった新チームでは、腹筋や背筋、ランニングなどの基礎メニューを中心に一から、自身とチームを作り上げることを始めた。

また、期待されていた打撃だけでなく、捕手としての技術向上も目指すために、投手との対話を繰り返したり、配球を研究するなど、一冬で大きな進化を遂げていった。

迎えた最後の夏は、県大会初戦で本塁打を放つと、その後も攻守に活躍を見せ、チームを甲子園へ導くと、初戦敗退ながらも、2本のヒットを放ち、監督や仲間と共に、最高の夏を過ごしたのであった。

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