「野球の勝敗は先の読み合いで決まります」/ 大府 赤星憲広選手

1994年のセンバツ大会に、2年連続東海地区の代表として出場した、愛知県の大府高校

当時、チームの1番打者として、2年連続の甲子園出場に大きく貢献したのが、赤星憲広選手である。

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赤星選手は、幼少期より運動能力が高く、小学生時代には、サッカーで県代表に選出されたり、野球でも様々なポジションを務めては活躍するなど、様々な実績を残していた。

大府高校へ進学後は、左打者への変更を監督に支持されたことがきっかけで、足の速さを活かすスタイルを確立でき、チームで唯一の1年でレギュラーの座を掴んだのであった。

しかし、2年のセンバツでは、1安打を放ちながらも俊足を活かした自身のプレーは発揮できず、守備でも、勝負所でエラーをし、チームも敗れた。

リベンジを誓い臨んだ、翌年のセンバツでも2個のエラーや、盗塁失敗など、思うような結果が残せず甲子園を去ることとなった。

それでも、2度の失敗と敗戦から、技術だけでなく気持ちの準備の大切さも学んだ赤星選手は、野球の奥深さについても練習で追求するようになっていった。

最後の夏は、県大会の初戦敗退で、甲子園の苦い思い出を塗り替えることはできなかったが、甲子園出場が野球人生を大きく変えたのであった。

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