「人と同じことをしていては、人と同じ成長しかしない」/ 沖縄水産 新垣渚選手

1997年の神宮大会準優勝を成し遂げ、翌年の甲子園に春夏連続で出場を果たした、沖縄水産高校。

当時、チームのエースを務めていたのは、最速151キロの速球で全国から注目を集めていた、新垣渚選手である。

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新垣選手は、小学2年時から野球をはじめると、恵まれた体格を生かし、捕手や投手として試合に出場するも、度重なる怪我と手術苦しめられ、中学時代はまともに走れず野球もできずにいた。

それでも、野球が大好きという気持ちが、怪我を克服するエネルギーとなり、県内有数の名門、沖縄水産へ進学することを決めた。

入学当初は、想像以上の厳しい練習に苦戦を強いられ、着いていくのが精一杯の状態であったが、野球に対する前向きな気持ちが、乗り越える原動力となった。

また、怪我の遅れを取り戻すことを必要以上に意識せず、小さな目標を立てては、一つずつ確実に達成するといった、焦ることなく時間をかけ、レベルアップを目指していった。

そんな、2年時の新チームではエースとなると、秋の神宮大会準優勝へと導くと、センバツと夏の選手権の両大会にも出場を果たした。

甲子園では、いずれも初戦で敗れたものの、151キロを記録するなどの活躍が認められ、日本代表にも選出されると、優勝に貢献したのであった。

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