「試合でどうするかじゃなく、それ以前にどうするか」/ 沖縄水産 大野倫選手

1991年の夏の甲子園で、2年連続となる準優勝を果たした、沖縄水産高校。

当時チームのエースを務めていたのは、打者としても高校通算18本塁打の活躍を見せ注目されていた、大野倫選手である。

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大野選手は、小学生時代から甲子園やプロ野球選手に憧れ、猛練習をしていたことで、高校進学時には、複数の強豪校から声がかかる存在となっていた。

そんな中、甲子園常連校の沖縄水産へ進学するも、当初は、県内から集まってくるトップレベルの選手たちとのレギュラー争いや、スパルタ指導に苦戦を強いられていた。

それでも、早朝から深夜にまで及ぶ練習に耐え努力を続けたことで、2年の夏には、甲子園準優勝に外野手として出場し、大きく貢献した。

しかし、夏以降の新チームでは、甲子園準優勝校の肩書きが、プレッシャーとなったことに加え、猛練習と投げ込みの代償で、肘に大きな怪我を発症した。

あまりにも大きな怪我であることを悟りながらも、県勢の期待とチームの優勝のためにという気持ちで、痛みをこらえたままマウンドに立ち続けた。

最後の夏は、甲子園決勝までの全試合に登板し、本来とは程遠いピッチング内容だったが、仲間の援護と自身の執念で、準優勝を成し遂げたのであった。

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