「努力を積み重ねてきたからこそ、見えない力が味方してくれる」/ PL学園 桑田真澄選手

1983年から5大会連続で甲子園出場を果たし、2度の全国制覇と2度の準優勝を成し遂げるなど、黄金時代を築いた、大阪府のPL学園

当時、チームの中心選手として、甲子園通算20勝、6本塁打などを記録し、投打にわたる活躍を見せていたのが、桑田真澄選手である。

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桑田選手は、中学3年時に参加した全ての大会で、エースとしてチームを優勝へ導くなどの活躍をしていたため、全国から注目を集める存在であった。

しかし、PL学園入学後は、上級生のレベルの高さや、慣れない寮生活に苦戦し、思うように力を発揮できず、外野手に転向させられた。

そのため、退部を考えていたが、外野からの返球を見たコーチに、肩の強さと球の質を評価されたことで、投手としての練習を再開していった。

下半身を中心とした身体の使い方を学んだことで、元々持っていた投球術や存在能力の高さを後押しし、チームの主力投手にまで成長していった。

1年夏の大阪予選では、快投でチームを甲子園へ導くと、甲子園では、1年生最多となる2本塁打を放つなど、攻撃面でも活躍を見せ、名門や強豪校を次々と倒し、一気に全国の頂点に立った。

その後も、4大会全て甲子園に出場し、投手としては戦後最多となる20勝を記録し、PL学園の黄金時代を作り上げたのであった。

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