「勝てば選手の活躍、負ければ監督の責任」/ PL学園 中村順司監督

1980年代を中心に、数々の記録を作り、多数のスター選手を輩出した名門、PL学園を18年間指揮していた名将、中村順司監督

そんな中村監督の指導スタイルは、実績とは裏腹に勝利や甲子園ばかりを追求せず、野球を通して人を成長させるといったものであった。

高校野球というものは、人間社会の縮図であるという考えのもと、社会で役立つ人間を選手たちの大好きな野球を活用し、育てていた。

そのため、自己の能力を高めることより、チームのための行動を意識させ、自己を犠牲にして行う送りバントや、仲間のミスを補うためのカバーリングなどのチームプレーを練習では追求していた。

そして、監督もまた、選手のために何ができるかを常に考え、細かく指示を出す場合もあれば、そっと見守り、責任だけを取るなど、チームプレーを心がけていた。

技術面の指導においても、選手たちが成長期であることを考慮し、無理なノルマを与えたり、自身の価値観を押しつることはせず、自主性や一人一人の考えを尊重していた。

チームのためにプレーをする選手と、チームのために采配や指導をする監督という二本の軸の強さが、PL学園を支えていたのだろう。

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