「最後まで力を出し切れば良い結果は待っている」/ 聖望学園 鳥谷敬選手

1999年の夏に、創部18年目にして、初の甲子園出場を果たした、埼玉県の聖望学園高校。

当時、チームの投打の柱として活躍していたのは、打者としては中軸を担い、投げては最速143キロを記録していた、鳥谷敬選手である。

聖望学園の記事はこちら。

鳥谷選手は、小学生から野球をはじめるも、中学2年時に成長痛に苦しめられ、満足にプレーがてきなかったこともあり、高校では野球を続けない予定で聖望学園へと進学した。

しかし、高校1年時に成長痛が回復したこと、父からの説得で、練習を見学にグラウンドに足を運ぶようになると、復帰することを決心したのであった。

入部後は、ブランクを取り戻すために、帰宅後も素振りを行うなど、他の選手以上の努力を重ねたこともあり、直ぐにレギュラーを獲得すると、2年春からは投手にも起用されるようになった。

しかし、入部後からの疲労や、投手の練習のために行った投げ込みが原因で、肩を痛めるといった次なるアクシデントにも見舞われ、中々、本来の力を発揮したり、思うようなプレーができない日々が続いた。

それでも、チームメイトの支えをモチベーションに、冬場に走り込みを行い、下半身を強化したり、打力の技術を向上させるなど、できる限りの努力を行い、諦めない精神力も身につけていった。

迎えた、最後の夏は、県大会3試合連続逆転サヨナラ勝利に貢献し、チームの初の甲子園へ導くと、全国の舞台でも投打にわたる活躍を見せたのであった。

【関連】浦和学院の記事はこちら。

【関連】花咲徳栄の記事はこちら。

【関連】上本博紀選手の記事はこちら。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です