数々の結果を残し、日本代表監督も務めながら、「高校野球は人間教育の場」という、自身の信念をブレることなく貫き指導を続けていたのは、日大三高や拓大紅陵を指揮した、小枝守監督である。
1992年に、当時では異例の、複数の投手起用で甲子園準優勝へと導き、名監督という肩書きを背負って以降も、結果以上に拘ったのは、選手たちの成長であった。
小枝監督の掲げる「人間力をの育てる」といった目標は、野球での活躍や、甲子園優勝を志し、入部してくる選手たちにとっては、少し堅苦しく、理解することは難しいものであった。
それに、強豪校や名門と称されるチームで、尚且つ私学である以上、学校側から監督に求められるのは、入学してくる選手たちと同様の「結果」である。
そういった周囲の意見が多ければ、自然と結果に執着してしまう指導者は多いが、小枝監督は、高校時代だけの成功ではなく、人生の成功を願い、無理に結果急がず指導を続けていた。
そのため、選手たちにかける言葉一つにも注意を払い、遠征先では、部屋にこもり適切な言葉を探しては、ノートにメモをするなど、目先の結果より、選手たちのその後の人生を見据えてのフレーズを用意していた。
それらの言葉は、試合や練習でのミスに対して、心に語り掛ける説教で選手たちに届け、人生の教訓やプラスに働くように使っていた。
また、厳しい指導でだけでは、モチベーションの上がらない生徒には、偉人の言葉を紹介したり、小さな対話を繰り返すなど、アプローチの仕方を変えることもあった。
日本代表監督を務めた際にも、このスタイルを変えず、実績を残している選手たちにも、人間性の向上を強く伝え続けていた。
野球より人生のレギュラーに、試合の勝利より人生の勝利へ、他人の上に立つより役に立つ人間に、といった人としての成功を願う小枝監督イズムは、多くの教え子たちに刻まれている。