「野球は一人でやるスポーツじゃない」/ 東海大相模 小笠原慎之介選手

2015年の夏の甲子園で、45年ぶり2度目となる全国制覇を成し遂げた、神奈川県の東海大相模高校。

当時、チームのエースを務めていたのは、決勝戦を完投し、打者としても勝ち越しとなる本塁打を放つ活躍で、優勝の立役者となった、小笠原慎之介選手である。

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小笠原選手は、小学1年から野球を始めると、中学時代には、全国大会とアジア大会優勝を経験するなど、輝かしい実績を持ち名門に入学したのであった。

そのため、東海大相模に進学後は、1年春からベンチ入りを果たし、秋からは中心投手として、チームを引っ張る存在となっていった。

しかし、1年秋は自身の失投で甲子園を逃し、反省を踏まえて臨んだ冬には怪我で練習ができず、2年時には最長5イニングの条件でしか、当番が許されない状態であった。

それでも、復活を目ざし2年秋以降は、苦手としていたランメニューに積極的に取り組み、スタミナの回復と下半身の強化をひたすら行っていった。

また、大会1か月前からはブルペンにジェットヒーターを持ち込み、マスクを着用しながら投げ込んむなどの過酷な練習で暑さ対策を行い、心身共に強化していった。

迎えた、最後の夏には甲子園で自己最速の151キロを記録し、本塁打を放つなど、投打にわたる活躍で甲子園を制し、その後行われた世界大会にも、日本代表に選出され、世界大会準優勝にも貢献したのであった。

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