「勝利を目指しているのであれば、厳しさは絶対に必要」/ 敦賀気比 篠原涼選手

2015年のセンバツ大会を制して、北陸に初めて甲子園の優勝旗を持って帰った、福井県の敦賀気比高校。

当時、主将としてチームを全国の頂点に導いたのが、後に高校日本代表の主将も務めた、篠原涼選手である。

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篠原選手は、全国レベルの敦賀気比に憧れ、地元の静岡県を離れ入学するも、甲子園常連校の選手のレベルの高さに圧倒され、レギュラー争いに苦戦を強いられていた。

それでも、「甲子園に出場するまで、地元には帰らない」という強い意志が篠原選手を支え、これまで挑戦したことのないポジションを練習したり、自主練でチームトップレベルの打撃練習を行うなど、努力を続けていった。

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2年の夏には悲願のレギュラーで甲子園出場し、目標を叶えた篠原選手は、新チームでは、主将として、「日本一」を達成するチーム作りを目指していった。

野球だけでは、全国の舞台では勝ちきれないことを経験したこともあり、篠原選手は、「私生活」についても、チームメイトを注意するなど、新たな取り組みも行っていった。

チームに注意や指示を出す立場となったこともあり、自身にも更に厳しを課し、前年以上にバットを振りこみ、ノルマや課題に妥協せず、言葉だけでなく、背中でもチームを「日本一」へと引っ張っていった。

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