「事象が変わらなくてもそれをどう捉えるかは自分たちで変えられる」/ 米子東 福島康太選手

20年以上のブランクがありながらも、2019年の甲子園に春夏連続出場を果たし、見事、古豪復活を成し遂げた、鳥取県の米子東高校。

当時、チームの主将を務めていたのは、巧みなバッティングと鉄壁の守備でもチームを支えていた、福島康太選手である。

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福島選手は、小学生時代から野球を始めると、中学時代は学校の軟式野球部に所属し、高校は県内有数の進学校でもある米子東へと進学した。

入学当初は、勉強との両立や限られた練習時間で効率よくメニューをこなすことなど、野球以外のことに苦戦を強いられていた。

それでも、監督推奨のタイムマネジメントを学び実践したり、先輩や同級生からアドバイスを貰うなどしたことで、時間上手になり技術も成長していった。

主将となった2年秋以降は、部員が16人しかいないという新たなハンデに直面するも、少人数ならではの練習を考えたり、一人当たりの練習量が多く確保できるとポジティブに考え、乗り越えていった。

また、試合や練習の準備などを全員で協力し合うことで得られた一体感や絆をチームの強みとし、試合でも組織力で闘うというスタイルを確立していった。

その結果、秋の大会では地区大会準優勝を成し遂げると、センバツは23年ぶり、夏の選手権には28年ぶりに甲子園に導くなど、名門の復活に貢献したのであった。

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