長い高校野球の歴史で「教育の一環」というタテマエに縛られることなく指導をしてきたのは、おそらく、木内幸男監督が初めてだろう。
いずれも無名であった取手二高、常総学院で指揮を執り、両校で全国制覇へ導き、春夏通算40の勝ち星を挙げた名将は、やはり独特の指導スタイルであった。
木内監督は、高校野球ではよく見聞きする、精神論や自己啓発などは一切語ることせず、努力を評価や選考基準にも入れず、能力のみで選手を判断していくスタイルを貫いていた。
練習をサボったり休んでも試合で結果を出せばレギュラーにし、努力をどれけしていても、力がなければ試合に出さないなどの徹底ぶりで、他校の指導者からは、批判を浴びることもあった。
だが、選手たちからの信頼は厚く、木内監督を慕って入部する選手は減ることもなく、レギュラーになれなかった教え子からも、尊敬される存在であり続けた。
そこには、職業監督故の「嘘をつかない」という、他の指導者が真似をしたくてもできない、最大の特徴があったからだ。
教員である以上は、選手の夢や努力を肯定し、技術の足りない選手に対しても、練習を促しばレギュラーになれる可能性がある趣旨の発言をしなければならない。
しかし、木内監督には、そういった曖昧な約束をするという概念がなく、力がなくレギュラーになれないと思った選手には、ハッキリ結論を伝えていた。
一見、無情にも思えるが、選手の性格や特徴を見抜いていての発言であり、 補欠選手を学生コーチにしたり、裏方での役割を作ったりと、一人一人が輝けるポジションを与え、裏方の采配までも密かに行っていたのだ。
周囲から「木内マジック」と称され、選手の潜在能力のみを引き出し采配にばかり注目が集まっていたが、レギュラーや控えに関係なく選手の居場所を見つけ出す指導が、強さを支えていたのだろう。