「『やっておけばよかった』と思うことは全て実行する」/ 駒大苫小牧 佐々木孝介監督

2004年の夏の甲子園で、北海道勢として初の甲子園制覇を成し遂げた駒大苫小牧高校。

2005年にも優勝し、夏の甲子園連覇を達成。翌年も夏の甲子園の決勝に進み、敗れはしたものの、早稲田実業決勝戦引き分け再試合で球史に残る名勝負を繰り広げた。

そんなチームを指揮しているのは、甲子園初優勝時の主将であった佐々木孝介監督である。

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「努力は裏切らない」/ 星稜 林和成監督

高校野球界で長年、北陸の野球を引っ張っている存在である石川県の星稜高校。

昭和47年夏の初出場から、箕島高校との延長18回の死闘や、明徳義塾戦での松井選手に対する5打席連続敬遠、平成7年の夏の甲子園準優勝など、数々の記録や記憶に残るチームである。

そんな名門で選手として甲子園に出場し、現在は星稜野球部で指揮をとっているのが林和成監督だ。

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「組織の中での自分の価値を見いだしてほしいと思っています」/ 横浜隼人 水谷哲也監督

「県大会の準々決勝以降は全国大会の1、2回戦より勝つのが難しい。」とまで噂されるほど、強豪校がひしめく激戦区神奈川県。

県勢の全国制覇回数は春夏合わせて、13回を数え、優勝経験校も5校存在し、まさに、激戦区という言葉がピッタリである (2019年時点)。

そんな激戦区神奈川で、21世紀に入って頭角を現し始めているのが横浜隼人高校である。

2009年夏は、優勝候補の筆頭であった横浜高校を倒し、甲子園初出場を決めた。

そんなチームを指揮するのが、水谷哲也監督である。

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「選手達を信頼していましたから」/ 拓大紅陵 小枝守監督

高校野球界では、「戦国の千葉」と称されている激戦区で、昭和の終わりから平成初期にかけて一時代を築き、その後も県のトップに名を連ねている 名門拓大紅陵

昭和59年のセンバツに初出場すると、甲子園常連校として、全国から注目を集め、平成4年の夏の甲子園では、名門、強豪、甲子園優勝経験校などを倒し堂々の準優勝を成し遂げた。

そんなチームを平成26年まで指揮していたのが、名将小枝守監督である。

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「人間的な成長がないままで甲子園に行ってもダメなんです」/ 福井商 北野尚文監督

北陸勢として初めて甲子園大会の決勝に進んだ北陸地方を代表する強豪、福井商業高校。

部の歴史も長く、数々のプロ野球選手も輩出している名門である。

そんなチームを指揮してきたのが北野尚文監督だ。

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「とにかく隙をつくらない」 / 横浜 平田徹監督

春夏合わせて5度の全国制覇経験のある神奈川の名門、横浜高校

1998年の春夏連覇や、多くのプロ野球選手の輩出で、知名度は高校野球界で一、二を争う。

そんな名門を率いていた渡辺元智監督のあとを継いだのは、平田徹監督である。

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「エラーした仲間を咎める態度を取ってはいけない」 / PL学園 中村順司監督

1980年代を中心に一時代を築いた、大阪の名門PL学園

春夏通算7度の全国制覇を成し遂げ、スター選手、プロ野球選手を輩出してきた、高校野球界のレジェンドと言える高校である。

春夏連覇、春連覇、夏の甲子園3年連続決勝進出、甲子園史上初の毎回得点… と数え切れない記録を作り、「最強」として多くの高校野球ファンの記憶に刻まる。

そんなPL学園を80年から98年のセンバツまでチームを指揮していたのが名将中村順司監督である。

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「時間の使い方、努力の仕方が何か間違っていたら当然伸びないです。」/ 沖縄尚学 比嘉公也監督

沖縄の高校野球を代表する強豪沖縄尚学

1999年のセンバツ大会で、県勢初の甲子園優勝を成し遂げると、2008年のセンバツ大会でも、甲子園を制覇した。

99年の優勝メンバーのエースであった比嘉公也選手が、現在は監督としてチームを指揮する。

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「野球は確率のスポーツ」/ 明石商 狭間善徳監督

高校野球の聖地甲子園があり、  参加チーム数が150を超える兵庫県。

全国有数の激戦区として、例年代表校争いが熾烈であり、連覇が難しい地区とされている。

そんな兵庫で近年安定した強さを誇るのが明石商業である。

夏の地方予選は前人未到の2010年以降ベスト8以上という驚異的な記録を残している。(2019年現在)

そして、初出場で挑んだセンバツでも8強まで勝ち進むと、2度目の出場では4強進出と、着実に力をつけている。

そんなチームを指揮するのが狭間善徳監督である。

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