「九つの悪いことより、一つの良いことを言うようにしています」/ 延岡学園 三浦正行監督

スポーツ界には、勝利を求めるためには、厳しさが必要という考えがあり、強豪と称されるチームほど、指導の際には叱責がつきものであり、高校野球も例外ではない。

そんな風潮に逆らう形で、「楽しませて伸ばす」指導を積極的に取り入れているのは、宮崎県の名門、延岡学園を指揮する三浦正行監督である。

“「九つの悪いことより、一つの良いことを言うようにしています」/ 延岡学園 三浦正行監督” の続きを読む

「優勝旗が見えかけてくるところから、真の闘いが始まる」/ 星稜 山本省吾選手

1995年の甲子園に、春夏連続で出場し、センバツでは8強進出、夏の選手権では準優勝を成し遂げた石川県の星稜高校。

当時、2年生ながら、チームのエースを務めていたのは、1年時から全日本選抜にも選ばれていたことから、大会注目投手でもあった、山本省吾選手である。

“「優勝旗が見えかけてくるところから、真の闘いが始まる」/ 星稜 山本省吾選手” の続きを読む

「技術も大事だが、それよりも自信をつけさせる」/ 高知商業 上田修身監督

高校野球では、時に、気持ちの強さが技術を上回り、思いがけないようなドラマを作ったり、歴史に残るような大逆転劇を演じることがある。

高知商業を指揮している上田修身監督もまた、技術指導以上に、気持ちの部分を重視した指導で、低迷していた母校を復活へと導いた。

“「技術も大事だが、それよりも自信をつけさせる」/ 高知商業 上田修身監督” の続きを読む

「苦しみを乗り越えていかない限り、体の強さも精神的な強さも備わって来ない」/ 名古屋電気 工藤公康選手

1981年の夏の甲子園で、チーム最高成績となる、4強進出を果たした、愛知県の名古屋電気(現・愛工大名電)高校

当時チームのエースを務めていたのは、甲子園の2回戦でノーヒットノーランを成し遂げるなどの活躍を見せていた、工藤公康選手である。

“「苦しみを乗り越えていかない限り、体の強さも精神的な強さも備わって来ない」/ 名古屋電気 工藤公康選手” の続きを読む

「野球にミスは付き物ですが、いかに無くしていくかも大事なこと」/ 星稜 林和成監督

球史に残る数々の名勝負を甲子園で繰り広げ、スター選手も多数育て上げてきた名将、山下智茂監督からバトンを受け継いだのは、OBの林和成監督である。

林監督は、自身が現役時代に恩師の山下監督に教わったことを指導をベースとし、中でも、伝統である「耐えて勝つ」のモットーは、変えることなく引き継いでいる。

“「野球にミスは付き物ですが、いかに無くしていくかも大事なこと」/ 星稜 林和成監督” の続きを読む

「甲子園は勝つ空気と流れを待っていたら絶対に勝てない場所」/ 横浜 愛甲猛選手

1980年の夏の甲子園で、チーム史上初となる、全国制覇を成し遂げた、神奈川県の横浜高校

当時、チームのエースを務めていたのは、1年時から主力投手として甲子園を経験していた、愛甲猛選手である。

“「甲子園は勝つ空気と流れを待っていたら絶対に勝てない場所」/ 横浜 愛甲猛選手” の続きを読む

「死ぬまでにいかに自分を磨き必死に成長していくか」/ 開星 野々村直通監督

勝利にこだわり続けるあまり、周囲からは、教育の一環としての指導を行うよう、批判されたこともあった、開星高校を指揮する野々村直通監督

特に、2010年のセンバツ大会で、21世紀枠の高校に敗れ、「切腹発言」をした際には、猛烈なバッシングを浴び、一時期辞任することもあった。

“「死ぬまでにいかに自分を磨き必死に成長していくか」/ 開星 野々村直通監督” の続きを読む

「神様は反省をさせるように失敗をさせてくれる」/ PL学園 清原和博選手

1983年の夏から85年の甲子園に5季連続出場を果たし、2度全国制覇2度準優勝を成し遂げた大阪府のPL学園

当時、チームの主軸を1年から務め、大会最多の甲子園通算13本塁打を放ったのが、清原和博選手である。

“「神様は反省をさせるように失敗をさせてくれる」/ PL学園 清原和博選手” の続きを読む