2年連続の出場となった、1999年の夏の甲子園で、16強まで勝ち進んだ、香川県の尽誠学園高校。
当時、2年生ながらを二塁手のレギュラー務めていたのは、攻守にわたる活躍で注目を集めていた、田中浩康選手である。
田中選手は、小学2年時から野球をはじめると、中学時代には、強豪のボーイズリーグに所属し、野球の基礎を身につけていった。
そんな中、田中選手の夢であった、甲子園出場を叶えるために、寮や練習環境が整っており、勧誘を受けていた、尽誠学園へ進学したのであった。
入学後は慣れない寮生活にも苦戦することなく、野球に集中して取り組んだことで、1年時から背番号16をもらい、チームの6年ぶりの夏の甲子園出場に大きく貢献した。
しかし、甲子園では全国トップレベルの選手たちの力に圧倒され、初戦突破は果たすも、2戦目では、センバツ準優勝校に延長の末敗れた。
それでも、甲子園出受けた衝撃をモチベーションに秋以降は、基本を繰り返し行いながら、全国でも通用する力を身につけるように練習に励んだ。
迎えた、2年の夏は練習の成果を発揮し、再び甲子園出場を果たすと、攻守にわたる活躍で16強進出の立役者となったのであった。