「辛い思い出があったからこそ良い思い出が本当に良い思い出になる」/ 能代商業 保坂祐樹選手

1998年から続いていた、秋田県勢の夏の甲子園連敗記録をストップさせたのが、2011年に出場した能代商業(現、能代松陽)である。

当時エースとしてチームを支えていたのが、保坂祐樹選手である。

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「高校3年間で頑張ったことは、絶対にその後の人生の支えになる」/ 興南 国吉大陸選手

2010年に、史上6校目の春夏連覇を成し遂げた、沖縄県の興南高校。

当時、不動の1番打者として、夏の大会で5割6分という驚異的な数字を残したのが、二塁手の国吉大陸選手である。

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「人生最後の試合になってもいいと思いました」/ 花巻東 菊池雄星選手

2009年のセンバツ大会で、東北勢初の甲子園制覇にあと一歩及ばず、涙をのんだ岩手県の花巻東高校。

そんな当時の花巻東を支えていたのが、世代最強左腕として全国から注目を集めていた、エースの菊池雄星選手である。

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「高校野球って、一番信じられるのは仲間」/ 報徳学園 近田怜王選手

2008年の選手権で、東兵庫の代表として、甲子園の連敗を5でストップさせ、8強まで進出した報徳学園

当時、エースとしてチームを支え、甲子園でもベスト8進出に大きく貢献したのが、近田玲王選手である。

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「『2番で良かった』、という人生を送っていこう」/ 広陵 土生翔平選手

2007年の夏の甲子園で、後のプロ野球選手4人を擁したメンバーで、準優勝を成し遂げた、広島の広陵高校。

当時主将として、広陵高校を40年ぶりに夏の決勝へと導いたのが、後にプロ入りを果たした、土生翔平選手である。

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「目標がぶれないことが大事だと思います」/ 早稲田実 斎藤佑樹選手

2006年の夏の甲子園で、駒大苫小牧との決勝戦引き分け再試合を制した早稲田実業

そんな「都の名門」を選手権初優勝へと導いたのが、1大会で史上最多となる69イニング、948球を投げ抜いたエースの斎藤佑樹選手である。

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「『優勝』って僕たちだけの力じゃなくて、先輩たちが作ってきてくれたものの結果だと思うんです」/ 駒大苫小牧 林裕也選手

2004年の夏の甲子園で、北海道勢として初の全国制覇を成し遂げた駒大苫小牧高校。

当時、二年生ながら二塁手として試合に出場し、準々決勝で後にプロ入りを果たす横浜高校の涌井投手から、サイクルヒットを放つなどの活躍で優勝貢献したのが、林裕也選手である。

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