全国最多となる春夏合わせて、11回の全国制覇を誇る愛知の名門、中京大中京。
甲子園で挙げた勝ち星は130を超え、ダントツの全国トップであり、春夏連覇や高校野球史上初の夏の甲子園3連覇などの記録も残している。
そんな名門で1990年から2010年まで指揮をとり、低迷しつつあったチームを立て直し、春夏合わせて9度(春5度、夏4度)の甲子園へ導いたのが大藤敏行監督である。
大藤監督は、97年のセンバツ大会で準優勝、09年夏の選手権では43年ぶりの全国制覇へチームを導いた実績やU18のヘッドコーチの経験もある、全国を代表する名将である。
中京大中京は、全国トップレベルの強豪校でありながらも、練習場は軟式野球部と併用のグランドであり、寮や雨天練習場もなく、決して環境に恵まれていはない。
そのため、大藤監督は練習では「量」より「質」を追求し、効率良く無駄な時間をなくすように指導していた。
シートノックなどの練習では、自分以外の選手が捕球している姿にも目を切らず、良い点を盗んだり、頭の中で自分自身に置き換え、動き方などをイメージするなど、一人当たりの練習量の少なさをカバーするようにさせていた。
やがて選手たちは、チームメイトが指導を受けている際にも、他人事として聞くのではなく、自分のプレーを見直すきっかけにしたり、打撃練習中に守備につき、実戦に近い打球を捕球する機会にするなど、練習を自ら探し行動するようになったのであった。
このように、一球に対して様々なことを意識している選手たちは、「視野」が自然と広がり、試合でも相手チームの弱点や隙を素早くみつけ、攻守に活かしてかすなど、プラスに働いていた。
また、野球の基本技術を「勉強」であると考え、自分なりに疑問を持ち考えて研究することが成長へつながるため、学ぶ姿勢の大切さも伝えている。
失敗をしたり、結果が出ない際にも、必要以上にアドバイスやサポートをせず、選手たちに考える時間を与えていた。
そして、「考える力」の軸となる「勉強」の必要性も伝え、野球だけができるの選手ではなく、野球もできるような選手を育てていた。
「野球」だけを指導するのではなく、練習の取り組み方や、物事に対する考える力を丁寧に指導したことで、名門復活が果たせたのだろう。
現在、享栄高校監督の監督として、再び甲子園の頂点を目指している大藤監督の指導に目が離せない。
「「野球ができる子から、野球もできる子になることが大事」/ 中京大中京 大藤敏行監督」への2件のフィードバック