1976年のセンバツ大会の初出場後、春夏合わせて10回を超える甲子園出場を誇る、福井工大福井高校。
そんなチームを2001年冬から16年間指揮し、春夏合わせて7度甲子園に導いたのが、大須賀康浩監督である。
大須賀監督は、「野球部員である前に高校生であれ」というスローガンを掲げ、グランド外の私生活についてもにも厳しく指導していた。
そのため、監督就任当初は3ヶ月間野球の指導はほとんどせず、生活指導や学校の校則を守らせることなどに徹底して取り組み、校門で身だしなみの検査や挨拶運動をすることも珍しくなかった。
他校より練習時間が少ないことが心配されていたが、私生活の部分が成長したことで、視野が広がったり、気遣いができるようになり、春から再開した練習でのみ甲子園出場を果たしたのであった。
限られた時間で結果を出したこともあり、入部希望者は毎年増え続け、二学年のみで100人を超えることもあった。
それでも、私生活を重視して指導するスタイルや、レギュラーや補欠に関係なく全員に同じ練習をさせるスタンスを変えず、県や地区では上位進出を続けていた。
甲子園では思うような結果を残せなかったが、選手を人として成長させ社会に送り出した大須賀監督の指導は、福井工大福井の伝統として受け継がれている。
「「やりたいというのならば、好きなようにやらせるべきです」/ 福井工大福井 大須賀康浩監督」への1件のフィードバック