「地道に自分でやっていく気持ちの強い人間が最後に勝つ」/ 福井工大福井 大須賀康浩監督

昭和1976年のセンバツ大会で、初出場ながら8強まで勝ち進み、以降10回を超える甲子園出場を誇る、福井工大福井

そんなチームを2001年から継承し、春夏合わせて7度、甲子園に導いたのが、北陸の名将、大須賀康浩監督である。

2018年夏に監督を勇退し、その後は総監督として、技術の指導だけでなく、スカウトや指導者の育成なども行っている。

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大須賀監督は、就任直後から「野球部員である前に高校生たれ」といった指導方針を掲げ、「選手」としてではなく「生徒」として接し、生活面から厳しく指導していた。

福井工大福井の野球部では、 入部希望者は技術や経験の有無に関係なく、入部させているため、毎年、100人前後の部員が在籍している。

大所帯のチームの統制をとるためには、技術で一つの方向に向かせるのではなく、全員が意識をすればできる「私生活」をレベルアップを目指さすことが得策と考え、当初は野球以外の部分の徹底をしていた。

挨拶や服装、寮のルールなどを守らなければ、チームメイトに迷惑がかかるという、集団としての自覚が一人一人に芽生えたことで、その後のチームワークの強化へと繋がっていった。

私生活」を見直したことで、選手たちは小さなことにも気を配れる力や、気付ける視野が身につき、これらは野球でも活かされていった。

大須賀監督就任から僅か半年で甲子園出場を決めた福井工大福井は、「私生活」と重要性を身を持って学んだため、生徒たち自ら声を掛け合い、高校生としての自覚を意識しはじめ、現在も伝統として残っている。

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また、部員が何人であっても、レギュラーや補欠に関係なく、全員同じ練習をさせているのも、大須賀監督のスタイルであった。

グランドや設備が整っていることや、時間に余裕があることなどから、大会直前までは、全員に同じ練習メニューを取り組ませ、チーム内で常にレギュラー争いをさせている。

少しの手抜きでレギュラーを外されるという焦りと、少しの努力でレギュラー入りができるという期待を、生徒たちがそれぞれ持つことで、練習の質が向上し、大人数であっても生産性の高い時間となるのだ。

私生活」からあらゆることを学べると伝え、日々の練習に志高く臨める環境を作った大須賀監督

監督の残した伝統と意志を受け継いだ福井工大福井が目指すのは、初の全国の頂点である。

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