「苦しい場面を乗り切るには選手たち自身の意思で動けないとだめ」/ 羽黒 小泉泰典監督

100回大会で、15年ぶりに甲子園に帰ってきた山形県の羽黒高校。

羽黒高校は、2003年夏に初の甲子園出場を果たすと、04年秋の神宮大会と、05年のセンバツ大会で四強進出するなど、全国での実績もある強豪校である。

そんな羽黒を、2012年から18年秋までチームを指揮していたのが、神奈川の名門、慶應義塾の出身の小泉泰典監督である。

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小泉監督は、雪で11月下旬から3月中旬までグランドがつけない期間に、個人の技術を伸ばすように指導し、雪国のハンデを克服していった。

室内練習場はないが、体育館のゲージで打撃をしたり、空いたスペースでノックをしたりと、知恵を絞り、個人の成長できる環境を作っていた。

また、寮生が多いため、平日に朝練を行い、他県のチームに練習内容で劣る部分を、量で補っている。

朝練は6時から行い内容もハードなものが多いことから、日曜を完全休養日とし、怪我や故障の予防にも気を配っていた。

一方、シーズン中の技術の練習では、冬場に鍛えた個人の技術を実践形式で試しながら、チームの約束事やサインプレーなどの練習などを徹底するスタイルであるあ。

実戦形式の練習では、失敗やミスに対して選手自らが監督に質問をし、意見やアドバイスをもらうという、新しい指導法で選手たちを育てていた。

そして、小泉監督が就任後力を入れていたのが、「食トレ」であった。

新入生には、食事の重要性を学ぶ機会を作るために、保護者も参加しての合宿を行い、学校、選手、保護者が一体となり意識づけていた。

食トレの導入理由は、怪我の防止や身体の成長だけでなかった。

食トレでは、体重や体脂肪率などの結果がはっきりと数字で現れるため、選手は自分で考えて工夫をするようになる。

この目に見える数字が、選手の思考力意欲を育て、成長時には「成功体験」を選手たちが感じ、「自信」にできるという、大きなメリットもあった。

メリハリのある練習に、多くの効果をもたらす食トレを上手く生かしたことで、遠ざかっていた甲子園に出場できたのだろう。

小泉監督が残した、新たな伝統を受け継ぎ、羽黒は県勢初の全国制覇を目指している。

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