2011年夏に、翌年の春夏連覇メンバーを擁していた大阪桐蔭を敗り、甲子園に初出場を果たした、東大阪大柏原。
そんなチームを指揮していたのは、監督として上宮高校でセンバツ制覇へ導いた実績を持つ、田中秀昌監督である。
田中監督は2003年の東大阪大柏原に就任した際から、本気で全国制覇を目指して指導を行なっていた。
しかし、当時無名高であったチームは強豪校と比べ選手たちの練習の意識は低く、監督と選手の間に大きな溝があった。
そこで田中監督は大幅な意識改革をスタートさせ、全力疾走や声を出すことなど、甲子園優勝監督のプライドを捨て、基礎や基本の徹底に拘っていった。
チーム内でできていない選手がいれば罰則を設け、罰則には監督自らも参加するなど、情熱を持って接し続けていった。
そして、週に3、4回寮に泊まり込むなど、グランド外でもコミュニケーションの機会を増やしていき監督との距離が縮まった夏、チームは悲願の甲子園出場を果たしたのであった。
甲子園では2回戦で敗れるも、無名校が本気で全国制覇を目指して闘った姿は、いつまでも語り継がれるだろう。
「「初出場校の監督が生意気ですけど、全国の頂点をとるという意識はチームにある」/ 東大阪大柏原 田中秀昌監督」への1件のフィードバック