「『姿』に『勢い』と書いて『姿勢』、良い姿をしていなければ、勢いは生まれない」/ 京都成章 澤井芳信選手

1998年の甲子園に春夏連続出場を果たし、夏の甲子園では準優勝を成し遂げた、京都成章高校。

当時、チームの主将を務めていたのは、1番遊撃手としてプレーでもチームを支えていた、澤井芳信選手である。

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澤井選手は、小学3年時から野球を始め、中学時代にはエースを務めるなどの経験をしたが、大きな実績はなかったため、一般入試で、京都成章へと進学した。

入学後は、野球だけでなく勉強にも力を入れる学校のスタンスに苦戦していたが、部活動との両立するための工夫を考え、時間が経つにつれ、野球に打ち込めるようになった。

また、主将となった2年秋以降の新チームでは、私生活の過ごし方にも力を入れるチーム方針を更に進化させることを始めた。

通学時の交通マナーや、電車やバスの乗車の仕方を統一するなど、グラウンド外のことにも厳しくルールを決めた。

小さなことの繰り返しではあったが、気づく力を身につけたり、複数の成功体験を重ねたことで、技術面の成長を後押しし、春夏連続の甲子園出場を果たしたのであった。

甲子園では、センバツは初戦敗退を喫するも、夏の選手権は、決勝まで勝ち上がりノーヒットノーランを達成され敗れるも、堂々の準優勝であった。

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