3年連続出場となった1993年の夏の甲子園の初戦で、延長12回の末、惜しくも破れた長野県の松商学園。
当時、2年生ながらチームの4番打者を務めていたのは、1年時から4番打者を担っていた、辻竜太郎選手である。
辻選手は、プロ野球選手であった父の影響を受け、4歳から野球をはじめると、中学までは、主に投手としてプレーしていた。
地元は大阪ではあったが、甲子園で躍進していた、松商学園に憧れ進学すと、慣れない寮生活や打者への転向にも、苦戦することなく活躍し、1年時から4番打者を任されるようになった。
しかし、周囲からの期待を集め臨んだ1年夏の甲子園では、安打を放つも途中交代を告げられ、チームも初戦敗退という結果に終わった。
そんな悔しさを糧に、秋以降は、 練習後も夜遅くまで無心にバットを振り続けたり、雪の中でのトレーニングでスタミナを強化するなど、更なる努力を重ねていった。
また、厳しい練習を乗り越えたことで、精神面が強化され、どんな試合でも動じない忍耐力も身についたのであった。
迎えた2年夏には、再び甲子園へ出場を果たすと、1点ビハインドの9回に、同点に繋がるチャンスメイクの安打を放つなど、敗れはしたものの、成長の証を見せたのであった。