「高校野球って、力だけでは勝てない」/ 習志野 小川淳司選手

1975年の甲子園に春夏連続出場し、夏の選手権では、学校史上2度目となる全国制覇を成し遂げた、千葉県の習志野高校。

当時、チームのエースを務めていたのは、甲子園で3試合連続完封などを記録し優勝に貢献した、小川淳司選手である。

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小川選手は、幼少期から野球を始めると、中学時代には、主に野手としてプレーしていたが、習志野高校進学後は、体の大きさと肩の強さが評価され、捕手へとコンバートされた。

その後は、故障者が出たことがきっかけで、投手へと転向することとなったが、試合で四球を10個出すほど、コントロールに大きな課題があった。

そんな課題克服のために、毎日ピッチングを続けるも、今度は、過度な練習が原因で腕を疲労骨折するアクシデントに見舞われた。

それでも、練習を休むことなく、腕をつるした状態で、ランニングやトレーニングを行い、徹底して下半身の強化をするなど、できる限りの努力を続けていった。

しかし、初の甲子園となった3年センバツでは、小川選手は10安打を打たれて、チームも完封され、初戦敗退するという、悔しい結果に終わった。

リベンジを誓い、猛練習を重ねて臨んだ最後の夏は、甲子園出場を果たすと、肩の痛みを発症しながらも、3回戦から3試合連続の完封で決勝へ導くと、最後はチームメイトが力投に応える、劇的なサヨナラ打で、優勝を果たしたのであった。

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