夏の甲子園の決勝の舞台で球史に残る激闘を繰り広げ、その名を全国に広めた新潟県の日本文理高校。
そんな日本文理を約30年指揮し、春夏合わせて14度甲子園へ導いたのは、大井道夫監督である。
大井監督が就任した当時のチームは甲子園出場経験はなく、新潟県自体も「全国最弱県」と称されていた。
なんとか強いチームを作ろうと奮起するも、冬場には雪の影響を大きく受け外では練習ができないなど苦戦を強いられた。
それでも、かつて甲子園準優勝をマウンドで経験した自身の取り組みや守り勝つ野球をベースに指導を行い、甲子園出場を掴み取った。
また、甲子園で敗戦を経験する度に、新しい野球である攻撃型のチームへ方向転換するなど、努力を重ねた。
その結果、夏の甲子園準優勝や県勢初のセンバツ大会での8強進出など、いくつもの輝かしい成績を残した。
しかし、大井監督は野球で成果を出すこと以上に、一生懸命努力に励むことや最後まで頑張ることの大切さを重視し、野球だけの人間を育てないようにしていた。
野球で結果が求められ状況でも、教育を怠らなかった大井監督の指導があったからこそ、日本文理は強豪へと成長したのだろう。
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