2001年の夏の甲子園で、当時の甲子園チーム打率の記録を更新する.427を残し、全国制覇を成し遂げた、日大三高。
そんなチームでエースとして、守りの面を支え、優勝に大きく貢献したのが、近藤一樹選手である。
近藤選手は、中学時代に全国大会に出場していた経験もあり、日大三高へ進学後も、大きな期待を集めていた。
しかし、入部当初は、全国レベルの強豪校の練習量に圧倒され、特に、多い日には朝5時から深夜まで行われる、日大三高名物の冬の合宿には、苦戦強いられていた。
それでも、苦楽を仲間と共に過ごすことで、互いに励まし合い、競い合うなど、個人の成長以外にも、チームワークの強化にも繋がった合宿で、近藤選手たちの代は、甲子園の優勝候補にまで挙げられるようになった。
だが、3年のセンバツでは、期待に応えようとする気持ちが空回りし、エラーや自滅で3回戦で敗れてしまった。
夏までは、僅かな期間しか残されていなかったが、とにかく練習力を増やし、不安や後悔の可能性を片っ端から消す努力を続けていった。
迎えた最後の夏は、西東京大会を圧倒的な強さで勝ち上がると、甲子園で中々調子の上がらない近藤選手をチームが猛打でカバーし、全員で全国の頂点を掴み取ったのであった。