宇和島東と済美を率いて、初出場初優勝を成し遂げた高校野球界を代表する名将、上甲正典監督。
「夢叶うまで挑戦」という指導方針を掲げ、どんな状況でも諦めることなく挑み続け、球史に数々の奇跡を刻んでいる。
そんな上甲監督だが、栄光の裏では様々な挫折や苦労、困難との闘いの連続であった。
宇和島東時代には、選手がなかなか集まらなかったことにより、チーム作りに苦戦を強いられていた。
また、創部間もない済美に就任した際には、部のルールや伝統を一から築く必要もあった。
それでも、挑戦を続ければ必ず夢の甲子園や全国制覇へたどり着けるとして、時に自ら練習に参加し、時に早朝から深夜までチームと向き合った。
その結果、いずれの高校でも甲子園優勝を成し遂げたり、多くのスター選手も育て上げた。
もちろん、教え子全てが甲子園出場を果たしたわけではないが、彼らにも甲子園を目指すことを通し、努力の大切さや頑張ることの素晴らしさを学ばせ、立派な人間として送り出していた。
甲子園という結果ではなく、甲子園へのプロセスの重要性を伝えた上甲監督のスタイルは、宇和島東と済美の伝統として受け継がれていく。
↓上甲正典監督の記事はこちら↓
- 「練習は人にやらさられるのではなく、自らやることが大切」/ 春日部共栄 本多利治監督
- 「高校野球は、ない中でどうやるかの野球」/ 如水館 迫田穆成監督
- 「基本はなくても基礎はある」/ 創成館 稙田龍生監督
- 「過去や結果を考える前に、今何ができるかを最優先に考えよう」/ 池田 岡田康志監督
- 「一つのミスがゲームを落とす」/ 九州国際大付 楠城徹監督