「劣勢な時や思い通りに行かない時、どう行動をとるかで真価が問われる」/ 静岡 高木康成選手

1999年の甲子園に、センバツは19年ぶり、夏は12年ぶりで春夏連続出場し、共にベスト16入りを果たした、静岡高校

当時、チームのエースを務めていたのは、夏の甲子園の初戦で、金属バット導入後の最多となる17奪三振を記録した、高木康成選手である。

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高木選手は、プロ野球選手に憧れ小学3年時から野球を始めると、中学時代には、軟式野球部に所属し、エースとして全国大会初出場初優勝へ導いた。

実績が評価され注目を浴びる中、地元の名門、静岡高校へ進学すると、慣れない硬式野球にも直ぐに適応し、頭角を現していった。

また、学校から甲子園までの距離が300キロ離れていることにちなんで行われた、数日間に分けて300キロを走るランメニューでは、下半身の強化に加え、精神面も大きく向上した。

そして、苦しいメニューを仲間とともに乗り越えたことで、チーム力や助け合いの大切さも学び、技術の成長の後押しとなった。

そんな努力が実り、3年時のセンバツに出場を果たすと、延長13回を完投し、チームに19年ぶりの白星をもたらすと、夏の甲子園にも導いた。

選手権では、初戦17奪三振の好スタートをきると、続く2回戦では10個、敗れた3回戦でも優勝校相手に11の三振を奪い、「静岡のドクターK」という異名を残し、甲子園を去った。

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