「『2番で良かった』、という人生を送っていこう」/ 広陵 土生翔平選手

2007年の夏の甲子園で、後のプロ野球選手4人を擁したメンバーで、準優勝を成し遂げた、広島の広陵高校。

当時主将として、広陵高校を40年ぶりに夏の決勝へと導いたのが、後にプロ入りを果たした、土生翔平選手である。

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「1-0で負けようが、100-0で負けようが、負けは負け」/ 明徳義塾 馬淵史郎監督

昭和57年の初出場以降春夏合わせて、甲子園で50 を超える勝ち星を挙げ、平成14年の夏の甲子園では、全国制覇を成し遂げている高知県の強豪、明徳義塾高校。 

甲子園に出場する度に上位進出を続けていることから、ファンからは、「四国の横綱」とも称されている。

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「目標がぶれないことが大事だと思います」/ 早稲田実 斎藤佑樹選手

2006年の夏の甲子園で、駒大苫小牧との決勝戦引き分け再試合を制した早稲田実業

そんな「都の名門」を選手権初優勝へと導いたのが、1大会で史上最多となる69イニング、948球を投げ抜いたエースの斎藤佑樹選手である。

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「練習が人生の糧になる」/ 智弁和歌山 高嶋仁監督

平成の時代に甲子園で春夏3度の全国制覇63の勝ち星を記録している、智弁和歌山高校。

そんな智弁和歌山を全国レベルの強豪校へと育て上げたのが、甲子園最多勝利監督としての記録を保持している高嶋仁監督である。

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「『優勝』って僕たちだけの力じゃなくて、先輩たちが作ってきてくれたものの結果だと思うんです」/ 駒大苫小牧 林裕也選手

2004年の夏の甲子園で、北海道勢として初の全国制覇を成し遂げた駒大苫小牧高校。

当時、二年生ながら二塁手として試合に出場し、準々決勝で後にプロ入りを果たす横浜高校の涌井投手から、サイクルヒットを放つなどの活躍で優勝貢献したのが、林裕也選手である。

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「全員をレギュラーにすることはできなくても、全員をうまくすることはできる」/ 大阪桐蔭 西谷浩一監督

「平成最強」の称号を手にしたと言っても過言ではない、名門、大阪桐蔭高校。

平成の30年間で63勝を挙げ、8度の甲子園制覇と驚異的な数字に加え、第一線で活躍を続けるプロ野球選手も多数輩出している。

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「やっていることが正しくても結果がともなわなければ自信は生まれません」/秀岳館 鍛治舍巧監督

2016年のセンバツ大会から3季連続で甲子園4強進出し、全国にその名を馳せた熊本県の秀岳館高校。

2001年の選手権、03年のセンバツ大会で甲子園経験後は、県や地区大会で上位進出を果たすも、あと一歩の壁に阻まれていた。

そんなチームの復活を託されたのが、県岐阜商のエースで四番として甲子園出場、社会人野球や少年野球での指導、25年以上高校野球の解説など、幅広い経験や実績を持つ鍛治舎巧監督であった。

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「人間が本物にならなければ、野球も本物にならない」/ 仙台育英 竹田利秋監督

東北地方の高校野球の歴史を作ってきた、宮城県の東北高校仙台育英高校。

その両校で27年間監督として、チームを甲子園へと春夏合わせて27度導き、多くのプロ野球選手を育て上げ、30の勝ち星を記録したのが、東北を代表する名将、竹田利秋監督である。

竹田監督は、1968年に東北高校の監督に就任すると、17年間で春夏合わせて17度甲子園へチームを導き、85年に仙台育英に移ると、89年の夏の甲子園では準優勝を果たすなど、多くの記録を残している。

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「工夫より『何をするか』を大事にしています」/ 彦根東 村中隆之監督

1950年のセンバツ大会に初出場を果たし、以降、約60年間甲子園から遠ざかるものの、近年再び力をつけている、滋賀県の彦根東高校。

09年のセンバツに21世紀枠として、58年ぶりのの出場を果たすと、13年には初の選手権出場を果たし、17年の夏には甲子園初勝利を挙げた。

チームを指揮しているのは、滋賀県内の高校での監督や部長の経験を持ち、彦根東では06年からはコーチとしてチームを支え、11年に監督に就任した村中隆之監督である。

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