1989年の、平成最初の夏の甲子園となった大会で、全国制覇を成し遂げた東東京代表の帝京高校。
当時、チームのエースを務めていたのは、甲子園での2本を含む高校通算56本塁打を放つなど、打者としても活躍していた、吉岡雄二選手である。
当時の帝京は甲子園でも上位進出をしていたことから、有力な選手が多数入学した吉岡選手の代は、全国制覇が期待されていた。
吉岡選手は、能力の高さを発揮し下級生時からマウンドを経験していたこともあり、投打の柱となった2年秋の新チーム以降は、全国から注目される存在となった。
しかし、冬に肩の故障を発症すると、優勝候補に挙げられ臨んだ3年のセンバツ大会では思うような投球ができず、初戦敗退となった。
自らの不調でチームメイトを勝たせることができなかった不甲斐なさを糧に、夏の大会に向けて、それまで以上の練習量をこなしていった。
迎えた最後の夏は、大会直前に足首を捻挫するアクシデントに見舞われるも、甲子園出場を果たすと、決勝までの4試合に先発し、僅か1失点という驚異的な数字を残し決勝へと導いた。
そして、決勝では、延長10回にも及ぶ死闘を失点0で抑え、チームの初の全国制覇に大きく貢献したのであった。