「自分がイメージしてることを体で体現するということが大事」/ 横浜 増田珠選手

2017年の夏、激戦の神奈川を前年に続く大会最多本塁打を放つなどの圧倒的強さで連覇し、甲子園出場を果たした横浜高校

当時、チームの主軸を務めていたのは、広角に打ち分けるバッティングが持ち味で、高校通算33本塁打を放った増田珠選手である。

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「厳しい指導は即効性がありますが、そこから先が伸びなくなる」/ 履正社 岡田龍生監督

新たな時代の幕開けを予感させるかのように、令和最初の夏に全国制覇を成し遂げた、大阪府の履正社高校。

無名の弱小校時代から、チームを引っ張り続けてきた、岡田龍生監督にとっては、30年以上の苦労が報われた瞬間でもあった。

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「地道に続けていくことでメンタルが強くなる」/ 花咲徳栄 高橋昂也選手

2016年の甲子園に春夏連続出場し、選手権ではベスト16まで勝ち進んだ、埼玉県の花咲徳栄高校。

当時チームのエースを務めていたのは、最速152キロを誇り、「世代ナンバー1サウスポー」と称されていた、高橋昂也選手である。

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「嫌われると、どんな言葉も相手に届かなくなります」/ 学法石川 佐々木順一朗監督

勝利」というものを目標にせずとも、数々の好成績を残してきたのが、福島県の学法石川の指揮を執る、前仙台育英監督の佐々木順一朗氏である。

仙台育英時代には、監督就任から6年で東北勢として初のセンバツ準優勝を成し遂げるのなどの、黄金期を作るも、不祥事が発覚し、チームも5年間甲子園から遠ざかることとなった。

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「野球は一人でやるスポーツじゃない」/ 東海大相模 小笠原慎之介選手

2015年の夏の甲子園で、45年ぶり2度目となる全国制覇を成し遂げた、神奈川県の東海大相模高校。

当時、チームのエースを務めていたのは、決勝戦を完投し、打者としても勝ち越しとなる本塁打を放つ活躍で、優勝の立役者となった、小笠原慎之介選手である。

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「野球なんて1から10まで人に教えてもらって結果が出せるほど、甘いスポーツじゃない」/ 智弁学園 小坂将商監督

無冠の帝王」と称され続けていた母校の智弁学園を、2016年のセンバツ大会で優勝へと導き、チームの歴史を変えた、小坂将商監督

選手時代には夏の甲子園4強を経験し、大学、社会人でも名門に所属し、第一線でプレーしていた経歴を持つ小坂監督の実績を考慮すれば、就任10年目だの全国制覇は当然の結果だと思われることが多い。

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「三振の数を取るよりも、ゼロで抑えることが大事」/ 前橋育英 高橋光成選手

2013年の夏の甲子園で、初出場初優勝の快挙を成し遂げた、群馬県の前橋育英高校。

当時、2年生エースとして全6試合50イニングに登板し、防御率0.36という安定した投球内容で、優勝投手となったのが、高橋光成選手である。

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「高校野球は教育があって、次に勝負や結果だと思っています」/ 健大高崎 青柳博文監督

2010年代の高校野球に、「機動破壊」という新たな戦略で旋風を起こし、健大高崎の名を全国に広めたのが、青柳博文監督である。

青柳監督の野球は、1つ先の塁を狙うためだけでなく、相手のバッテリーや守備にまでプレッシャーをかける走塁を武器としているが、就任当初に目指していたチーム像は全く異なるものであった。

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「高校野球って甲子園が目標じゃなくても僕は良いと思っている」/ 瀬戸内 山岡泰輔選手

2013年の夏の広島県大会決勝で、延長15回引き分け再試合を制して、13年ぶりの甲子園出場を果たした、瀬戸内高校。

当時、チームのエースを務めていたのは、最速147キロのストレートを武器に相手打線を抑え、大会注目右腕として、全国から期待されていた山岡泰輔選手である。

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